専能寺山門

浄土真宗本願寺派専能寺は、開山から400有余年の歴史を誇り、岡田地区に住む人たちの心の拠り所でした。

東日本大震災に際しては、専能寺を含む周辺の家屋は津波による壊滅的なダメージを受け、当時の山門は津波にさらわれ、およそ一キロ先で発見されたといいます。
その日、人々はみな一様にかけがえのない多くのものを失いました。
希望など簡単には見いだせない中で、ご住職、坊守さん、総代と門徒さんたちが、力を合わせてもう一度お寺を再建しようと、自分たちの生活基盤すらままならない状況で、うず高く積もった瓦礫や汚泥の撤去作業を行いました。
皆、避難所の体育館や仮設住宅からかけつけたのです。

内外からたくさんのお寺さんの関係者や、ボランティアの人たちも手伝ってくださいました。

日々の生活も厳しい中で、地域の心の支えをなんとか取り戻そうと、多くの人が寄付を希望し、山門、鐘つき堂、水害に遭った本堂の修繕を比較的早い段階から行うことができました。

この地元の方たちの熱意に応えるべく、施工を任せていただいた弊社も、建材や人手が不足する中、仏閣が専門で高い技術を持つ大工の精鋭を集め、少しでも良い木材を探し、旧山門以上のものを作ろうと社員一同大いに燃えました。

 

 

H 邸

大崎市飲食店

産業廃棄物処理場(鈴木工業)

少しショッキングな画像ですが、こちらも大震災を乗り越えた地元と弊社の忘れられない復旧工事です。

震災が発生して数日後、弊社に一報が入りました。どうしても処理場を稼働させたいとのこと。震災で街の全てが壊され、流された後、私たちがしなければならないことはすぐに再建に取り掛かることではなく、暗く重たい汚泥と瓦礫の山を取り除くことでした。そして、それを処理する施設が稼働しなければ、この地域の復興は何もはじまらないということ。はやる気持ちが空回りする中、私はその時、改めてやるべきことを理解しました。

処理場を稼働させながらの修復作業は困難の連続でしたが、この過酷な状況で安全・衛生管理をも徹底できたことが、個人としては後の大きな自信となり、会社としては技術と管理の力を確認し示すことができました。仙台港の近くは大小処理施設が集まっていましたが、当施設が最も早く稼働再開できたということでした。